NLP Official Logo

Be Ourselves 代表
自分に素直になりたい人ためのライフデザインコーチ
西村 純一
ビジネスコーチ兼フリーランスシステムエンジニア
(米国NLP協会認定 NLPトレーナー、NLPコーチングトレーナー)

長野と東京で暮らすデュアルライフを実践中。

西村 純一

参考記事:

すべての人が、より自由で豊かな人生を」をミッションステートメントとして活動しています。
ブログ、メルマガ、セミナー、ラジオYouTubeなど、マルチメディアに情報配信中。

人の成長に携わること、人に違いを創り出すことが喜び。
技術を教えることや、新しい考え方、価値観を伝えることにワクワクします。

2015/11現在のお仕事内容については、こちらに詳しく書いていますのでご覧ください。

参考: 現在のお仕事について (2015/11現在)

やりたいこと、進みたい方向、やっていること

ミッションステートメントは「すべての人が、より自由で豊かな人生を」

ブログやメルマガ、ラジオといったオンラインメディアを通じ、「すべての人が、より自由で豊かな人生を」手に入れるためのヒントや、背中を後押しするメッセージを配信しています。

そして、セミナーやワークショップを開催しており、ブログなどでは伝えきれない実用的なスキル、考え方などを伝えています。

また、コーチングやカウンセリングといった個人セッションも行っており、個々人の課題を直接解決するお手伝いもしています。

企業様向けには、人材育成コンサルタントとして、新入社員研修や社員の方のヒューマンスキル研修など、研修プログラムの企画、実施などを行っています。

近況

2012年、新卒入社した都内の大手メーカを退職し、より自由で豊かな生活を求め、自然豊かな長野県に移住しました。
夫婦ともども、縁もゆかりもない長野という土地に流れ住み、生活していく上で、新しい価値観に触れ、これまでにないたくさんの経験を通じて今に至ります。

スキーのインストラクターをしたり、ブログを書いたり、セミナーを開催したりと、やりたいと思っていたことを次々と実現してきました。

2014年からは新しいライフスタイルを実践するため、平日は東京、週末は長野なデュアルライフをはじめます。

春は都内大手SI様向けの新入社員研修でプログラミング言語 (Java)を教え、夏からはフリーランスとして都内の大手メディア様のPMOとして活動しました。

現在はとあるIT企業様の社員研修や、新規事業立ち上げの支援をしています。

新しいもの、特にIT関係のものが好きで、Macやスマホ、タブレットにはただならぬ興味があります。

また、新しい土地に行くのも好きで、色々なイベントに顔を出しながら、見聞を深めています。

人のメンタリティにも興味があり、NLPという「人生がうまくいくためのベストプラクティス」を学びはじめてはや8年。

その間交流分析やゲシュタルト療法、コーチングなど、様々な心理療法を学びながら、これまでに数百人の方の問題解決を支援してきました。

2015年には米国NLP協会認定 NLPコーチ、NLPトレーナーを取得し、2016年にはNLPコーチングトレーナーを取得するなど、さらに磨きをかけています。

人生をより快適にするライフハックも大好きで、手帳術、メモ術といったものも色々研究しています。

大手メーカを退職してフリーランスになる

大学院を卒業後、大手製造業に就職しました。

それなりに楽しく業務をこなしていたのですが、ちょっとずつ、現状に対する不満をためていました。

そのことに気づくこともなく、何事もチャレンジだからと、転勤や子会社への出向、プロジェクトへの参画など、理不尽に思うことがあっても、ずっとその状況を受け入れてきました。

ただ、これはチャレンジでもなんでもなかったのです。

どこか、何かが違うと思う気持ちがずっとたまるだけで、自分の中の正直な部分は悲鳴をあげていました。

そのことに私が気づいたのは、NLPという心理学について深く学んでいたときでした。

友人に誘われ、何もわからずはじめたのですが、どんどんその考え方に共感を覚え、いうなればハマっていき、自分が何をしたいのか、どういう風に生きていたいのかということを強く考えるようになりました。

それまでは、この会社の課長になって、部長になって、あるいは子会社に出向したり転籍したりして、・・・、そうやってずっと、その会社で生きていくと思っていました。

本当に無意識に、そうだと思っていました。

そのことに気づいてからは、現状をなんとか変えていきたい、もっと自分の生きたい形に変えていきたい、・・・

自分の人生を、自分でカジを取って生きていきたい、と思うようになりました。

それからは怒涛のように流れが変わります。

それまで基本的になんでもチャレンジだと思って受け入れていた業務について、自分の考え方、生き様のようなものを取り入れるようにしていきました。

嫌なことは嫌だと言い、賛同できないことには意見を言い、自分の理想と違っていることとは別離するようにしていきました。

ずっとシステムエンジニアとして生きてきましたが、もっと自由に生きたい、やりたいことを実現したいと思うようになりました。

今の状況で、この会社にいて、自分がやりたいことが実現できるか。

そうして悩み抜いた末に、最初の退職届を出しました。

この時は、当時私がやってみたいと思っていた教育研修の部門への配置転換をすることで折り合いがつきます。

翌年の春から、私は新入社員研修など、社員研修を企画、運営する仕事をはじめることになりました。

望んで異動したこともあり、研修以外の業務があることだって受け入れてはいたのですが・・・

1年以上働いてきてわかったことは。

私がやりたいと思っている教育研修の仕事は、1年のうち2ヶ月もなかったことです。

それはそうです。研修会社ではなく、製造業なのですから。

とはいえ、私の人生のうち、12分の10以上は、興味もないことや、やりたくないことで埋められていたのです。

そこで再び決断の時が迫ってきました。

このまま会社に居続けることは、私の人生にとって、この会社にとってプラスなのか。

私の年齢的に、翌年には昇格試験のようなものを受ける時期でした。

その試験を受けるには、周りの先輩方や上司の多大なる協力が必要になります。

そういった助力を得て、昇格して、居残って、果たして何年続くのか。

いつやめるかわからないような気持ちのまま、周りの助力を得ることに、どうも気乗りしませんでした。

この会社に居続けることは、私の人生に何をもたらしてくれるのか、もはやわからなくなっていました。

今度こそ、退職することを決意します。

会社をやめて、住みたいところに住んで、やりたいことをやっていくことにしました。

会社を辞めれば東京に住んでいる必要もなくなるので、いっそのこと退職するなり移住することにしました。

移住場所は色々考えた中で、長野県を選びます。

そして、2013年12月。

新卒入社してから約8年間働いてきた会社を退職しました。

退職するなり長野に移住したので、年末は何かと忙しかったです。

夫婦ともども、縁もゆかりもない長野に移住して、これからどう生きていこうかと、模索する日々が始まりました。

長野に移住して、スキーのインストラクターをはじめる

長野に移住して最初にやってみたかったのは、学生時代にはじめたスキーです。

会社でもスキー部に所属していて、大回転という競技をやっていて、とても楽しかったんですよね。

せっかく長野に移住したのだから、この冬はとことんスキーをやろうと思いました。

幸い、移住したお家から車で7〜8分のところにパラダというスキー場があったので、夫婦でシーズンパスを買って、いっぱい滑ることにしました。

もっとスキーが上達したかったので、スキースクールで力をつけて、翌年にはスキーのインストラクターになってみるかと思っていたのですが・・・

スキースクールに行き、担当していただいたインストラクターの方に「スキーのインストラクターには、何をやったらなれますか?」と、ふと聞いてみたのです。

すると、「校長と話してみるわ」と言われ、翌日には電話がかかってきて、なんといきなりスキーのインストラクターをすることになりました。

2年計画だったのが前倒しに実現したので、自分でもびっくりでした。

そうして突然スキーのインストラクターをはじめ、幼児や、小学生、中学生のトレーニングをしながら冬を越しました。

初めての長野の冬は、メチャクチャ寒かったですが、とても気持ちよくて、いい日々を過ごしました。

低迷した2013年

ただ、スキーのインストラクターは冬場しか仕事がなくて、しかもほとんどお金にはなりません。

まだまだブログなどでの収入は大したことがないので、どうやったらお金を稼ぐことができるか相当に考えました。

ブログをひたすら書いて、興味のあるセミナーには顔を出し、ワークショップを開催してみるなど、とにかくがむしゃらに活動をしていました。

貯金はあっという間になくなって、借金は増えるし、何をどうしたものかわからず・・・それでも動き続けました。

とにかく色々やってみた1年でしたが、思った以上に苦しみながら過ごしました。

一念発起した2014年

このまま同じように過ごしてもおそらくうまく行かないと思ったので、翌年2014年の年初、更に新しいことに取り組むことにします。

長野でできる仕事を探して、幾つかの求人サイトに登録しました。

実際に興味がある会社に面談にも行ってみましたが、残念ながら採用には至りませんでした。

もしかしたら、これまでやってきた職歴を活かして、普通のシステムエンジニアとして仕事を探していれば、再就職もできたかもしれません。

実際に、システムエンジニアとして採用したいというオファーはいただいていたのですが、お断りしました。

そうやって生きることを辞めたのだから、そこに立ち戻っては意味がないと思ったのです。

新入社員研修に活路を見出す

そんな折、前職時代にやっていた新入社員研修は楽しかったので、もしかしたらそういう研修のお仕事があればやってみたいと思いつきます。

インターネットで探してみたところ、これがまた意外にもたくさんの求人がありました。

これは後でわかったことなのですが、日本は新年度に一括採用するという商習慣のため、新入社員の研修をする講師の数は絶対的に足りていないのです。

そんなわけで、ひとまず目についた案件に応募したところ・・・

なんと、今度はすぐに採用が確定しました。

求人情報を出していた会社の方と面談をした日はDpubという巨大な飲み会があった日なので、よーく覚えています。

残念ながら長野で働いていく道は見つけられませんでしたが、長野に住みながら東京で仕事をするというライフスタイルは移住するときに考えていたものなので、すんなりやってみようと思いました。

それからまたすぐに別の案件も確定し、4〜6月の予定は確定しました。

そんなわけで、フリーランスとして初めて企業と契約して請け負ったお仕事は、新入社員研修の講師でした。

実はもっと案件があって、「うちならXX万円だすから」とか、引き抜き (!?)のようなこともありましたが、先にお約束したところがあるので丁重にお断りしました。

ただ、新入社員研修という案件は、だいたい夏までには終わります。

7月以降はどう生きていくかはまだ全然見えていません。

とはいえ、それはそれとしてまた考えながら、とにかく今年はスキーをガンガンやれる最後の年かもしれないと思い、ほとんど毎日のようにスキーのインストラクターをして過ごしました。

おかげでその冬だけで5kgくらい痩せました。

新入社員研修がはじまり、夏以降の仕事を考える

さて、2014年の4月末から新入社員研修がはじまり、やってみて思ったのは、やっぱり楽しい!ということです。

新入社員に、Javaというプログラミング言語を教えながら、私が本当にやりたかったのは、新社会人としての生き方というか、考え方といか、そういうものでした。

それについてはどのくらい実現したかはわかりませんが、Javaを教える以上のことを、一期一会の新入社員に残していけたと思います。

研修をしている間は東京に滞在していたので、東京にいるうちに7月以降の案件をどうにかすることを考えました。

そこで思いついたのが、フリーランスに仕事の斡旋をしている業者です。

いうなれば、フリーランサーの営業を専門にやっている会社があるのです。

ひとまず応募してみて、履歴書や職務経歴書を送ってみたところ、その会社の方からすぐに面談したいという連絡がきました。

狙っていたとおり研修期間中にお話がきたので、ちょうどよかったです。

面談に赴き、担当の方と少しお話したところで、その会社のシステムについて説明を受けます。

その時に言われたことを今でも覚えています。

「あなた、システムエンジニアじゃないよね」

うすうす私もそうなんじゃないかと思っていたのですが、やっぱりそうでしたね。

システムエンジニアの応募用紙に書く内容は、だいたい、どんなプロジェクトに参画したことがあるか、そこにどのくらいの期間いたか、どういう役割で入っていたかというようなことなのですが・・・

私はそういう枠では書けないような働き方をしていました。

同時に5つくらいのプロジェクトに関わっていて、マネージャをやってみたりプログラムを書いてみたりと、とにかく並行でバラバラやっているので、そのフォーマットに当てはまらなかったのです。

そして、そんな私のような、とにかくどんな案件であっても柔軟に対応できるという人材を求めている案件がちょうどあったのです。

報酬額も大きかったですし、本当に私がなんとかできるような案件なのかはサッパリ検討がつきませんでしたが、とにかく話を聞いてみようということで、先方との面談をアレンジしていただきます。

Javaの研修が終わったのが6月末で、そのお話をいただいたのが7月の頭で、半ばにはもうその会社で働くことが決まっていました。

なんともトントン拍子にいきました。

そうして私は、久しぶりにひとつの企業に毎日勤め、プロジェクトを担当し、無茶ぶりにも答えながら活動することになりました。

2拠点生活がはじまる

そうなってくると、やっぱり東京にも住む家があった方がいいと思って探し始めます。

ここで縁が効いてきました。

Javaの研修を紹介していただいた会社の方が、知り合いの知り合いがコワーキングスペースをやっていて、そこの親がビルのオーナーで、そのビルには住居もあって、しかも空き部屋があるという話を聞いたのです。

最初は難しいかという話だったのですが、やり取りしているうちに話を聞けることになり、なんと住むところが決まってしまいました。

しかも、1階にあるコワーキングスペースは使い放題という特典付きです。

自分の仕事をする机が欲しいと思っていた私には願ったりかなったりでした。

家賃相場的にも、周りに比べて安かったですし、大家さんとも仲良くやれそうだし、コワーキングスペースの運営者ともうまいことやれそうだし、これはいい物件に巡り合ったものです。

賃貸契約をした日は、午後からセミナーがある日で、東京で住む場所が決まったという話をしたことを覚えています。

こうして、私の2拠点生活が始まりました。

平日は東京の会社に通い、週末は長野の自宅で過ごすというライフスタイルは、とても私にとっていい環境でした。

産休を取った年末年始

そのころには嫁さんが妊娠していたので、週末に帰っては一緒に病院に行っていました。

出産の予定日は12月末だったので、新しいお仕事を契約する際に、12月半ばから1月の頭くらいまで産休に入るということを前提にお話ができていたのがよかったです。

12月の半ばになると、本当に産休に入りました。

予定日になっても我が子は出てこず・・・きっと私たち夫婦が2人で過ごす最後の時間をプレゼントしてくれたんだと思って、一緒に過ごしました。

そして12月の末・・・第一子が誕生しました。

2人が退院するのが大晦日ということで、年末は毎日のように病院に通い、嫁さんがベッドから離れるときには、ベッドを占拠して、居座っていました。

そうして新しい年を迎え、職場には「予定日より1週間遅かったので、もう1週間休みます」などと無茶なことをお願いし、結局1ヶ月くらいお休みしました。

フリーランスだし、仕事をしている時間で契約しているので、収入は一時的に減っちゃいますが、それでも一緒にいたかったから、嫁さんと、子どもと一緒に新年を過ごします。

時短勤務で新幹線通勤

仕事に復帰してしばらくは時短勤務としていただき、自宅から新幹線通勤をやってみました。

これはこれでありだなーと思ったのですが、流石にいつまでも時短勤務というわけにもいかないので、2月半ばには通常勤務に復帰します。

新しい仕事のオファー

そんな2拠点生活をしていることをブログのネタにして、記事を書いていたのですが、縁というのは面白いもので、その記事がある人の目に止まりました。

その人はある会社の役員をしている方で、ちょうど2拠点生活をしようとしていて、ネットを検索していたところ、私のブログにたどり着いたとのことです。

そして、私が社員研修をしていることをプロフィールか何かから知ったようで、折しもちょうど会社の研修をどうにかしたいと思っていたこともあり、Twitterでお声がけいただいたのです。

最初に連絡をいただいたのは年末ごろで、当時銀座で働いていたため、仕事上がりに銀座のカフェで打合せをしました。

それからお仕事の詳しい内容をうかがいます。

まずは新入社員研修をしながら、社員研修もして、新しい事業の立ち上げに協力して欲しい。

そんな内容でした。

とても興味があり、チャレンジになると思い、お仕事を受けることに決めます。

産休明けてすぐで、時短勤務が終わると同時に、「実は・・・」と、当時働いていた会社の窓口の方にそのことを打ち明けました。

ちょうど人の入れ替わりのあった時期で、正直困るんだけど、という感じではありました。

これからどうしていこうかと思っていた矢先に仕事をいただいたので恩義もあり、担当していたプロジェクトの状況があまりよくないし、少なからず申し訳ないなーとも思いながらも、やっぱり自分がやりたいことをやって生きていきたいと告げました。

もしかしたらここで収入を増やす交渉をして、残るという選択もできたかもしれませんが、お金だけで決めるのは前職を退職するときに辞めたので、3月の契約終了をもって離れることとしました。

そうして4月から、また新しい会社で、新しい仕事をはじめました。

点と点がつながった

私がNLPを学んでいて、新入社員研修をやっていて、ブログを書いていて、長野に移住していて、よくわからないことでもやってみていたから、新しい仕事に結びつきました。

初めて勤めた会社を退職し、どうやって生きていくか悩み、迷い、逃避したくなりましたが、どうにかこうにかつないできています。

今でも、あの時に無理をしたものが残ってはいますが、家族はみんな元気にやっています。

これからどうなるかは全くわかりません。

ただ、会社に勤めていればこれからどうなるかわかるかというと、わかった気がしているだけで、それは幻想でしかないんですよね。

会社を飛び出して、色々やってみて、四苦八苦したけれど、あの時よりはやりたいことをやって生きているし、これからもそうしていきたいです。

もっと多くの人が、より自由で豊かな人生を生きることを選択し、手に入れてもらいたい。

そんな思いが私のミッションステートメントにあります。

私自身、まだ道半ばですし、本当に理想しているところに到達しているとは言えません。

だから、一緒に成長していきましょう。

私は昨年NLPコーチングに合格し、夏にはNLPトレーナートレーニングを受けるというコミットを達成しました。

そうやって、今を目一杯生きています。

これからも、あなたにとって役立つこと、背中を押せるようなことを、ブログに書き、メルマガに書いていきます。

セミナーやワークショップで直接お会いできれば、いっそうダイレクトにお伝えできます。

コーチングやカウンセリングといった個別セッションで、自分の限界をどんどん乗り越えて行くお手伝いをすることもできます。

そんな風に、私が今やることを精一杯やることが、「すべての人が、より自由で豊かな人生を」生きることにつながっていると強く信じています。

略歴

  • 西村 純一。愛媛県出身。瀬戸内海の島に生まれ、高校まで地元で暮らす。兄弟は兄が1人。
  • 実家は田舎の電気屋さん。小さいころから父親に連れられ、テレビや冷蔵庫、エアコンの設置作業などを手伝う。修理のため解体されたテレビやビデオデッキを見ながら育ったせいか、機械ものが何だか好き。
  • 自宅にはMSXというパソコンがあり、それでプログラムを書くのが楽しくなったのが、小学校に上がる前。当時は英語など分かるわけもないが、キーボードでカタカタMSX BASICを打っていた。
  • 地元の小学校は、1学年20名程度の田舎。目立つことが大好きで、体格がよかったこともあり、何かとやらかした。少人数なため、何でも全員参加。ソフトボール (県大会出場経験あり)、陸上競技 (ソフトボール投げ、高飛び)、駅伝、サッカーなど、とにかく体を動かすのが好きだった。
  • 中学校ではバレーボール部に所属。2年からキャプテンになる。弱小チームではあったが、チームの中ではキャプテンでエースアタッカーで得点王だった。バレーボール大好き。スラムダンクの影響でバスケットも盛んだった。意外に勉強ができたため、先生に勧められるままに高校は県内屈指の進学校に進学することになる。
  • テストで学年1位になったらパソコンを買ってやる、と父親が言ってきたから、あっさりと1位になる。買ってもらったパソコンは、PC-9821XP。今思うと相当高かったな〜。Visual Basic 2.0というプログラミング環境も買ってもらった。MS-DOSなんて、今の人は知らないよね。
  • 愛媛県立今治西高校に進学。県下2、3位の進学校だというのは、入ってから知った。あと、甲子園に行っている学校というのも後で知った。高校ではパソコン部に所属。でも、あまりそれらしい活動はしなかった。もっとプログラミングとかやるんだと思っていたのだけれど。部長より権限のあるヒラとして君臨。文化祭の出し物などを企画する。
  • 高校は島の外だったため、船通学。よく「島もん」とか「島選抜」とか馬鹿にされた。というのも、大体島から出てきている人間の方が成績優秀だったりするため、多少のやっかみもあった模様。島もんで何が悪い〜と思っていた。
  • このころの友人の影響で、ギターを始める。勉強の合間に弾語り。我ながらいい趣味だなぁと思っていた。
  • 大学進学なんて全く考えてなかったけど、進学校なんでみんな大学に行くわけで、何となく受験。ただ、島で大学に行く人なんて限られているし、両親とも行ったことないから、情報不足。聞いたことある名前の大学を受験しようと思った。とはいえ、聞いたことあるのは、東大、京大、阪大、慶應義塾、早稲田といったラインナップ。今考えると、だいぶ世間知らず (^^;
  • 1999年、慶應義塾大学に進学。実家を離れ、単身横浜に住み着いた。一人暮らし生活が始まる。コンピュータ好きな流れで情報工学を専攻。この頃から自作PCにハマる。プログラミングのバイトをしたりしながら、軍資金を稼いでは、秋葉原に行ってパーツを買っていた。パソコンサークルに所属し、プログラムの講師をしたり、文化祭 (通称、三田祭)の出し物を作ったりした。
  • そのまま大学院まで進学。コンピュータの中でもソフトウェア工学を専攻し、システム開発方法論といった分野を突き進む。修士論文で作ったプログラムは、5万行を超えた。もはや趣味の世界。そのまま博士課程に進むか悩んだが、就職することにした。
  • 2005年4月、大手電機メーカのシステムエンジニアになる。東京本社の技術スタッフ部門。千葉に会社の寮があったので、千葉にお引越し。千葉にモノレールがあることを初めて知った。営業系システムの企画、開発、保守などもろもろやるんだと思ってたら、2年目にして組織改編。全く違う生活になる。
  • 会社ではスキー部とバレー部に所属。冬場は月2回以上雪山に行くようになる。大回転というレースが楽しくなり、もっぱら速く滑ることに熱中する。
  • 社会人2年目からは工場の生産管理系のシステム企画等をするようになり、出張生活が始まる。月、火、水は静岡で、木は京都に行って、金は東京に、といったスケジュールで暮らす。ほぼ毎日新幹線に乗り、ほぼ毎日ホテルで寝泊まりする。千葉の寮に帰るのは週末くらい。静岡駅や名古屋駅近辺のホテルの名前を言われると、大体分かるくらいだった。
  • 2008年、突如関西に転勤。兵庫県は伊丹市に住み着く。出張生活は変わらず、千葉から静岡に行っているのか、伊丹から静岡に行っているのかの違い。
  • このころに、NLPに出会う。名古屋のWECANというセミナーに参加し、みるみる自己革新していく。それまでロボットみたいな人格だと言われていたのが、人間らしくなったと言われるようになる。
  • 社会人5年目には子会社に出向。全く出張がなくなる。18時に家に帰っても、何をしたらよいか分からないくらいだった (大抵、新幹線に乗って移動しているような時間だったから)。このころに嫁さんと出会い、結婚する。
  • 仕事に嫌気がさしてきたのがこのころ。NLPを深く学んでいくにつれ、どうも今やっていることが、自分のやりたいことじゃないと思うようになる。コンピュータより人に興味が移っていく。システム開発よりは、社員研修がやりたいと直談判。結果、また転勤することになる。
  • 2011年の5月から子会社の出向解除になり、また東京本社の古巣に戻る。何年も経ってるから、見知らぬ人が多くなっていた。4月の新人研修あたりから研修業務に携わっており、5月から本格的に社内研修の事務局として業務を回すようになる。
  • プライベートでは、NLPだけでなく、交流分析、ゲシュタルト療法など、様々な心理学を取り入れ、カウンセリングや自己実現のサポートをすることが楽しみになる。これまでに100名以上のクライアントの悩みを解決している。システムエンジニアだけでなく、様々な職種の人と交流し、時にはカウンセリングを行い、その人の可能性を開くサポートをしている。
  • 2012年12月、大手電機メーカを退職。個人事業主として活動をはじめる。屋号は「Be Ourselves」。事業理念は「すべての人が、より自由で豊かな人生を」
  • 2012年12月末、長野県北佐久郡御代田町に引越し。自然豊かな別荘地で田舎暮らしをはじめる。
  • 2013年1月〜2月、引っ越して最初にやったのはスキーインストラクター。長野に引っ越ししたらやりたいと思っていたのだけれど、まさかいきなりやることになるとは!?まずは地力をつけ、翌年からできればいいかな、と思っていたのが、前倒しで実現。我ながらビックリ!
  • 2013年3月以降はスキーインストラクターの仕事も落ち着き、スキーのレースに出たりしながら、スキーシーズンを終える。
  • スキーシーズンを終えたら、ブログによる情報発信に専念。
  • 2013年6月、地元ラジオ局「エフエム佐久平」にて番組「ワンダフルライフ」放送開始。毎週金曜日12:20〜12:35の15分番組。公共電波を使った初めての活動。
  • 2013年7月、退職後はじめてのセミナー「書くだけセラピー」を開催。退職してから半年間の集大成。
  • 2013年9月、「書くだけセラピー」開催時に予告したとおり、続編のセミナー「あなたの理想の読者を引き寄せる!ブログライティングセミナー」を開催。
  • 2013年10月、地元ラジオ局「エフエム佐久平」にて放送中の番組「ワンダフルライフ」が第2クールに入る。番組に連動した特設サイト「ワンダフルライフ」を開設。
  • 2013年12月、ラジオ「ワンダフルライフ」放送終了
  • 2014年1月、ラジオ「ワンダフルライフ」の流れを汲み、特設サイトにて引き続き放送を続ける。YouTube、Podcastによる配信をスタート。
  • 2014年4月、都内の大手SIerにて新入社員研修のサポート講師として登壇。
  • 2014年7月、都内の大手広告系企業にPMOとして参画。新規ビジネス立ち上げの支援に携わり、システム開発チームのプロジェクトマネジメントを行う。(〜2015/3まで)
  • 2014年7月、都内での継続的な活動が見込まれるため、東京事務所を開設。同時にコワーキングスペースと契約し、活動拠点を東京にも持つ。
  • 2014年12月、第一子生まれる。前後に産休取得
  • 2015年3月、「相手に合わせた説明ができるようになるワークショップ」開催
  • 2015年3月、NLPコーチングの受講を開始し、そのセッションの一環として個人コーチングを始める
  • 2015年4月、都内のIT企業にて新入社員研修を請負う。企画、計画、実施、などなど、全面的に新入社員研修を開発する。また、同社にて新規ビジネス立ち上げの支援を行う。技術チームのマネージャ兼、プロジェクトリーダとして活動。(〜2016/6まで)
  • 2015年5月、NLPコーチングに合格。正式にNLPコーチとして活動を開始する。
  • 2015年6月、「相手に合わせた質問ができるようになるワークショップ」開催
  • 2015年7月、アメリカのオーランドで開催されたNLPトレーナートレーニングに参加NLPトレーナーになる
  • 2015年9月、念願のベトナム (ダナン)に行く。
  • 2016年7月、アメリカのオーランドで開催されたNLPコーチングトレーナートレーニングに参加。世界で200人といないNLPコーチングトレーナーになる (2016年7月現在)。

趣味、好きなこと

  • バレーボール、スキーなど、体を動かすこと。高校〜大学と自転車部に所属していた嫁さんの影響で自転車も乗る。
  • パソコンだけでなく、タブレットやスマートフォンなど、最新機器に触れること。家にはMacBook Pro、MacBook Air、iPod Touch、iPad2、Androidケータイ、自作パソコン (2013年廃棄)などがあり、電子機器に囲まれている。とにかく色々やってみたい。2011年にMacに転向してからは、Apple好き。
  • お酒が好き。特にウィスキー。関西在住時は、よく京都の山崎蒸留所に通っていた。スコッチ、中でもアイラ系と呼ばれる、非常に個性の強いのが好き (アードベック、ラフロイグ、ラガヴーリン、など)。バーボンやブランデーなども好き。最近は日本酒やワインが夕食のお供。
  • 人に何か伝えること。教えること。昔から先生になったらいいのに、と言われ続けており、今だにそう言われる。最近、やっぱりこっちの方が向いているし、好きだと思う。
  • 手帳や文房具なども大好き。今はほぼ日手帳Weeksをメインに使っているが、色んな手帳を試したい。LOFTや東急ハンズに行くと、いつまでも文具コーナーにいる。
  • 本を読むのも好き。最近はもっぱら起業、会計、IT関連 (スマフォ、パソコンなど)、自己実現、自己啓発に関する書籍を貪る。ちょっと積ん読。

雑誌「BIG Tomorrow」で紹介されました

2012年7月号

2012年7月号、7ページ目の
『スマホで人生が劇的に変わった!アプリのおかげ』
という特集に、私が取材を受けた記事が掲載されました。

Google+の変わった使い方ということで紹介されています。

2013年1月号

2013年1月号、19-21ページの
『週末「アクティブ・ホリデー」のすすめ』
という特集に、私が取材を受けた記事が掲載されました。

私がNLPに出会うきっかけや、出会ってからどう変わったか、
といったことについて紹介されています。

2015年9月号

2015年9月号、30-35ページの 『”田舎”に移住してのんびりリッチに暮らす方法』という特集に、私が取材を受けた記事が掲載されました。

私が長野に移住した経緯や、長野〜東京の2拠点生活の過ごし方について紹介されています。

コンタクト

こちらからもお問い合わせを受付しております。

お名前 (必須)

メールアドレス

メッセージ本文 (必須)

※ メールアドレスを誤っている場合はこちらからご連絡することができません。必ず正しいメールアドレスを入力いただきますよう、よろしくお願いいたします。

※ お申し込みいただくと、まずは自動応答メールにて返信いたします。もしそのメールが届かない場合は、メールアドレスが誤っている可能性があります。